約束を守れなかったあの子との約束を、僕はまだ大切に持っている。

 

“これは私たちが結婚するときに返してね”

 

そう書かれたあの子のメガネケースを、僕は10年以上すぎた今でも大切に保管している。

 

あのころの彼女はそれが現実になると信じていた。でも、そうはならなかった。

 

高校デビューに失敗し、女性と面と向かって話せなくなった根暗で挙動不審だった僕。

 

僕は、あの子と付き合っている間に変わってしまった。

 

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あれは体育祭をおえて受験勉強が本格化した高三の夏の終わり。

 

僕のクラスの男子生徒は、校舎間の最上階を結ぶ吹きさらしの渡り廊下で昼食時間を過ごしていた。

 

受験という現実におびえ、ぎこちない笑顔と穏やかさで作られた空間。

 

大げさな笑い声と、ふざけたノリで終える昼休み。

 

それは受験を一瞬だけ忘れられた。

 

でも、それは一人の男子生徒によって失われることになる。

 

彼は老朽化のすすんだ手すりにぶら下がると、あっという間に破壊してしまった。

 

叱責をのがれるため「勝手に壊れた」というウソの報告をしたことから、工事がおわった後もその廊下は利用禁止となった。

 

学校サイドの見せしめによって、僕らは楽園から追放されたのである。

 

教室は昼休みを受験勉強にあてる生徒の熱気に満ちており、居場所のない僕たちは仕方なく散り散りになって小さな集落をつくっていった。

 

そんな中、僕は二人の友人を連れて一階の中庭にあるベンチに腰をおろすことにした。

 

その近くには一年生の教室がある。

 

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少し寒くなった10月の始めごろ。

 

いつも通り昼食をおえて話していると、急激な尿意に襲われた。

 

僕は友人に荷物をあずけ、一人トイレに向けて走った。

 

そしてトイレが見えた瞬間、

建物の死角から突然声をかけられた。

 

そこにはひとりの女子生徒が立っていた。

 

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その子は通学中の僕を時々ストーキングしている二人組の片割れで、真後ろで声をひそめているので気になって顔を覚えた一年生だった。

 

ただ、二人組といっても一人は付き添いであり、僕に好意をもっているのは一人だけであることは友人から聞いていた。

 

だから声をかけられた瞬間に理解できた。

 

これは告白されるなと。

 

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ほんの一瞬だけ立ち止まった僕は、

言葉が見つからず「トイレに行ってもいいかな?」という言葉をかけて駆け出してしまった。

 

用を足してトイレから出ると、多くの女子生徒があつまっている一角があった。

 

そしてその中心で女の子が泣いている。

 

僕は話しかけようとした。

 

でももう、あの子の顔を真っ直ぐ見る自信がなかった。

 

僕は合流した二人の友人に説明し、冷やかされながら教室へ戻った。

 

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あのとき僕が何を考えていたのか、今では思い出すことができない。

 

僕は高校デビューに派手に失敗した、根暗で挙動不審なメガネだった。

 

世間知らずのまま高校生になった僕は、他校出身の大人びた生徒と上手く付き合うことができず悩んだ。

 

それは、中学で仲の良かった友人が誰一人として同じ高校に進学しなかったこともある。

 

そして高校から始めた歯の矯正。

 

いろんなことが重なり、もともと陽気だった僕は中学時代から想像できないほど暗い人間になっていた。

 

三年間、波風を立てぬように目立たぬように生きていこうと心にきめていた。

 

華やかなグループでなくても、少しの友人がいるだけで幸せだと思った。

 

部活で女性と話すことはあったが、それ以外で話すことはほとんどなかった。

 

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入学から二年半。

 

僕はまだ部活の女性以外とは話せないままだった。

 

運良く彼女はできたけど、それも部活内。

 

内輪の空間でしか女性と上手く話せないままだった。

 

だから告白を察知したとき、トイレに駆け込んで安心した記憶がある。

 

でもそれは結果的にその子を傷つけることになった。

 

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思い悩んだその日の掃除時間、昼食メンバーの一人をつれて一階へ降りることにした。

 

その子をみつけると、何十回も心の中で練習した言葉を伝えた。

 

「さっきはゴメン。話すのが苦手なのでメールをくれませんか?」

 

僕は1ヶ月後に付き合うことになるその子にメモをわたし、唖然とする相手と言葉を交わさぬまま教室にもどった。